阪神淡路大震災あれから23年

2018/06/25
 
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「人生100年時代突入」という言葉を耳にするようになった。いきなりとは虫のいい話で現在10代の若者に照準を合わせ二人に一人が100歳を迎えるだろうという構想だ既に始まっているとも言われる。早い話が老後が長くなるということで様々な要因で元気に高齢化に向けて「副業・兼業の推進」が社会に取って顕著になっていく。筆者は70代に仲間入りしたが友人から「年寄りの自覚が足りない」と指摘されたことがある。捉えようでどうにでも解釈できるが中身のある年寄を目指すにはチャンスだと思っている。欲深くあと15年をそこそこ生かして戴くと考えるならばまだ青年期である。「人生死ぬまで勉強」と言われるが失敗を伴う貴重な時間だ。これまでの「教育」「勤労」「引退」という3ステージの人生から、「学びながら働く(学生起業)」、「働きながら学ぶ(リカレント教育)」、「複数の仕事や活動を並行して行う(副業・兼業)」、「自身のビジネスを始める(起業)」といった、様々なステージ人生を送るというのが、グラットン氏が言うLIEF SHIFT(ライフシフト)のようである。大いににもがき後世に残せる力を蓄えるために「いっときの恥」をかく道場としてこのブログを成就させたい。目指せエバーグリーンコンテンツ

阪神・淡路大震災被害にあわれた方ご冥福申し上げます。

23年前1955年阪神淡路大震災が発生した日。
私は単身で兵庫県の宝塚市にいた。
宝塚歌劇まで歩いて10分足らずの所に会社事務所と住まいに一人で住んでいた。
明日は阪神に事務所を構えてから第一目標の神戸製鋼との打ち合わせが始まる。計画の見直しと打ち合わせ内容、トークのチェックの為中々眠れなかった。

翌朝1月17日5時46分52秒地震発生
私は二階に寝ていた。

異様な音とともに体が浮く位下から突き上げるショックが数回あった。SFもどきの怪獣が来たかという恐怖だった。
周囲の状況から地震と察知した。
飛び起きたと同時に台所の上にある観音開きの食器棚から全てが一斉にガシャというよりドーンに近い音を出して落ちてきた。
危ない外へでなきゃと思いきや階段口には冷蔵庫が・・・
4メートル程ある定位置から走ってきたみたい。
凄さを感心しながら定位置へ。

外を見ると空き地向こうにある食堂のおじさんとおばさんが外に出ていた。
繰り返す余震。おばさんは毛布を肩から背負ってる。
2階建てのその家の瓦がみるみる内に落ちていく。

「おばさんあぶなーい、もっと離れて」と大声で叫んで外へ飛び出した。
おばさんのそばに行き「からもっと離れましょう」と誘導するやいなやガシャガシャっと落ちてきた「あぶなかったー」
おじさんも帰って切る途中この状況を見ていたので「よかった、命の恩人だよ」と言っていた。

なにやらガス臭い匂いをたどっていくと毎朝散歩であいさつをするおじさんがいた「ガス臭いですね?」
「女房が出てこない」でも家は倒壊している。二人ではどうしようもない。

緊急見回りの役所の車を見つけ追っかけて「早急に助け出してください。」と頼み現場へ戻ろうとした時。
くわえたばこでバイクでこちらに来る人がいる。

ガス充満のところでタバコを吸うバカ

「タバコは危ないから消してくださーい」と叫ぶが無反応。
そばまできた時私はタバコを手で払った」

「なにすんねん!」バイクを立てて向かってきた。

「ガスが漏れてるんで危ないからですよ。」「何で俺の顔を殴った?」「殴ってないタバコを払ったまでだ」

この時点で広報車がガス爆発で死亡者、倒壊で下敷き中の情報が周りから入ってきた。

部屋に戻り福岡の自宅にで電話をした「大変な地震だ、あの大きな冷蔵庫が階段・・・」と言いかけると「それどころか阪神高速が倒れてるよ、車が落ちてる」

停電してるんでテレビはみれない。それを聞いて自分が思っている以上の災害なんだと気づいた。

阪神高速が倒れた信じられない情報に確認したかった。
不幸中の幸いで車は車庫に入れていたが横の棚が倒れてかなりへこんでいたが動けるみたい。

国道に出ると山へ向かう方向はマヒしている。
西宮を目指して走ると対向車が「行けないよふさがってる」と数台から聞いた。

道路をまたぐバイパスがない消えてる

ふっと気付いたが建物が低く見える4,5回建てのビルが全てイメージが違う。
後でわかったことだが1階に店舗とか入ってる建物が壁が少ないために強度がなくそのままつぶれたらしい。あの光景は不思議な世界そのものだった。
「地震で壊れたかな」っと思ってみるとちゃんと水平になってる。「気のせいだ」と取り直し先に進むと、道路をまたいでいたバイパスがない?崩落している。

驚きながら前に進んだもう一つまたいだ道路を確認してみたかった。「ない、落ちてる」
ここまで見ると阪神高速が倒れたというのも納得できた。

部屋を片付け終わるとボランティアの救援物資の配給が始まっていた。
布団は被害がないが食糧がない。当然ガス水道は止まっているので何もできない。

缶詰を数個もらった。正直「助かった」という思いで涙が出た。

灯台下暗し

電話は発生時点では福岡に電話できたのに一切つかえなくなった。

発生時点で話せたのでそんなに心配しないだろうと思っていたが役所に行き災害用の電話で自宅に電話した。
不思議なもので自分の知ってることは身の回りのことだけ。福岡の自宅から情報が入ってくる。不思議だ

大きな仕事が地震で台無しになり数日は悩んだが周りの話を聞くにつれ無傷で命があることに気が付いた。
私は独り身だったので家族の心配はなかったのがありがたかった。

その内にガスが中々復旧しないので近隣のゴルフ場が風呂を解放してくれた。
兵庫県はゴルフ場が多いのは有名でちょっと足を延ばせばいくらでもある。

早速お世話になった。
まだ利用客も少なくて皮肉な話だが自然の中の風呂を満喫した。10か所近いゴルフ場にお世話になった。
今でいうおもてなしは最高でそすすめの料理とビールで幸せな時間を過ごした(なんとなくうしろめたいものがあった。)

「来たな地震」

暫くして事業再興にとりかかった。
ある時営業で伺った会社でのこと。
1階ロビーで説明をしている最中に「ゴトゴト」と地鳴りがした。

説明を中断し、「危ない!隠れましょう、隠れましょう」と言って外に出ようとしたら
事務員さんが「大丈夫ですよ真裏を電車が通ってるんでよく間違われるんですよ」。今でも思い出す天使みたいだった。

かなり仕事に影響し持続不可能と見切りをつけ家族のもとへかえりました。

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「人生100年時代突入」という言葉を耳にするようになった。いきなりとは虫のいい話で現在10代の若者に照準を合わせ二人に一人が100歳を迎えるだろうという構想だ既に始まっているとも言われる。早い話が老後が長くなるということで様々な要因で元気に高齢化に向けて「副業・兼業の推進」が社会に取って顕著になっていく。筆者は70代に仲間入りしたが友人から「年寄りの自覚が足りない」と指摘されたことがある。捉えようでどうにでも解釈できるが中身のある年寄を目指すにはチャンスだと思っている。欲深くあと15年をそこそこ生かして戴くと考えるならばまだ青年期である。「人生死ぬまで勉強」と言われるが失敗を伴う貴重な時間だ。これまでの「教育」「勤労」「引退」という3ステージの人生から、「学びながら働く(学生起業)」、「働きながら学ぶ(リカレント教育)」、「複数の仕事や活動を並行して行う(副業・兼業)」、「自身のビジネスを始める(起業)」といった、様々なステージ人生を送るというのが、グラットン氏が言うLIEF SHIFT(ライフシフト)のようである。大いににもがき後世に残せる力を蓄えるために「いっときの恥」をかく道場としてこのブログを成就させたい。目指せエバーグリーンコンテンツ

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